
1960年 ビルボード誌Hot 100の第1位獲得曲
第1位を獲得した楽曲は以下の通り。プレスリーが3曲入っているのが時代を表している。その他ではブレンダ・リーが2曲、コニー・フランシスが2曲入っていて、当時の人気が忍ばれる。また、レイ・チャールスが名曲”Georgia On My Mind” で1位を獲得しているのも注目される。
Hot 100 Winners (曲名、アーティスト、獲得週数)
- “El Paso” Marty Robbins 2
- “Running Bear” Johnny Preston 3
- “Teen Angel” Mark Dinning 2
- “The Theme From ‘A Summer Place'” Percy Faith And His Orchestra 9
- “Stuck On You” Elvis Presley With The Jordanaires 4
- “Cathy’s Clown” The Everly Brothers 2
- “Everybody’s Somebody’s Fool” Connie Francis 2
- “Alley-Oop” Hollywood Argyles 1
- “I’m Sorry” Brenda Lee 3
- “Itsy Bitsy Teenie Weenie Yellow Polkadot Bikini” Brian Hyland 1
- “I’s Now Or Never” Elvis Presley With The Jordanaires 5
- “The Twist” Chubby Checker 1
- “My Heart Has A Mind Of Its Own” Connie Francis 2
- “Mr. Custer” Larry Verne 1
- “Save The Last Dance For Me” The Drifters 1
- “I Want To Be Wanted” Brenda Lee 1
- “Georgia On My Mind” Ray Charles 1
- “Stay” Maurice Williams & The Zodiacs 1
- “Are You Lonesome To-night?” Elvis Presley With The Jordanaires 5
1960年の日本の状況
このころの日米の音楽シーンは全く別物で、ミュージックライフ誌調査による外国盤ヒット・シングル・レコード・チャートによればBillboard Hot 100を制覇した曲は日本ではほとんど売れていなかった。
上記の Billboard Hot 100 トップ獲得19曲のうち、日本のチャートで第1位を獲得した曲は皆無で、最高位は「夏の日の恋」の第3位であった。
当時の日本の音楽シーンは、マスメディアが主として映画とラジオであり、情報源としてはマニア向けの音楽雑誌のみが存在していた。ラジオ音楽番組は1955年開始の文化放送「ユアヒットパレード」、1957年開始のTBSラジオ「今週のベスト10」などがあったが、テレビでは、年末の「レコード大賞」と「紅白歌合戦」程度で、テレビで洋楽が紹介されることはほぼ皆無であった。
このような状況の中、当時のレコード売り上げは、環境音楽としてのLP版と映画音楽とテレビ番組主題歌(「ローハイド」など)に偏り、ほとんど紹介されることのない米国のヒット・シングル曲が振るわなかったのは当然といえるだろう。
文化放送が1963年に開始した「9500万人のポピュラー・リクエスト」という番組があったが、当時の世界情勢のなか、仮に9500万人の数分の一でも市場があれば明らかに世界最大規模であり、それを目指した日本のレコード会社による洋楽市場形成のための努力により、邦楽レコード制作の枠の中から日本独特の洋楽を生むという、特殊な発展経過をたどることになったのである。